| 新聞あのね90号 2006年(平成18年)1月発行 1.3月22日 森林公園支店オープン 北洋銀行が駅前商業地・旧拓銀出張所跡地に 2.5月20日 樽前ヒュッテまで走ります!! あのねたすきがけマラソン ランナー募集 3. 団塊世代の地域活動に期待 我妻武氏が語る地域の絆復活とは 4.『小学校の思い出』 C まこと歯科 福島誠人 5.パトロール用防犯チョッキ200着準備 厚別西まちづくり「防犯子ども安全対策部会」 6.アフリカの最高峰キリマンジャロに登頂 鈴木博士さん「目標に向って努力できたのが嬉しかった」 ★・・・3月22日「森林公園支店」オープン・・・★ 北洋銀行が駅前商業地・旧拓銀出張所跡地に 旧拓銀森林公園出張所が閉店されて以降9年ぶりに民間の金融機関が再度出店する。今春3月22日(水)に開店する北洋銀行森林公園支店がこれで、お隣の郵便局との相乗効果も高めながら金融機能の利便性が期待されている。 開設場所は、厚別北2条5丁目の商業施設・リーヴココプラザ1階で、旧北海道拓殖銀行新さっぽろ支店森林公園出張所の跡地。 269uの広さに、顧客相談コーナーを重視したレイアウトを採用し、ATM2台、自動通帳繰越機、貸金庫などを設置する。 行員は、斎藤浩昭支店長ほか4名(うち女性2名)。 預金業務はむろんのこと、投資信託、公共債、年金保険など、各種の個人向け商品を取りそろえ、地域住民の資産運用に積極的に応じていく、としている。 「公共機関の参入は駅前商店街の活性化にもつながり、もろ手を挙げて歓迎です」と地元町内会の役員。 また金融機関としては競合関係にはなるものの「銀行に来たついでにウチにも立ち寄る、そうした相乗効果も高まり、郵便局としての業務量増加も推測され歓迎です」と札幌森林公園駅前郵便局の川筋英次局長。 ☆・・・5月20日 樽前ヒュッテまで走ります ・・・☆ あのねたすきがけマラソン ランナー募集 厚北小前のオアシス文化教室から、樽前山のふもとにある樽前ヒュッテまでの60キロを今年も5月20日に走ります。 コースは、もみじ台通りから立命館慶祥高校前を通り道々江別恵庭線を南下。国道36号線を恵庭から千歳市内に入り、春日公園からアップダウンの激しい支笏湖公園線をひたすら走ります。 このあのね友の会のたすきがけマラソンのコンセプトは「人には厳しく、自分に優しく」です。なまじ優しい言葉を掛けると真剣に走りすぎるので、「こりゃ、おっそいぞ、もっと死ぬ気で走れ」と怒鳴ると、走者の心理は「バカバカしい、ゆっくり走ろう」となり、無理なく安全に走るようになることを昨年気づきました。 結果として、One for All All for One となるのです。 そこで今年もご一緒に走ってくれるランナーを募集してます。これといった資格もキャリアも必要ありません。5キロを30分程度で走れることが出来ればそれで充分です。 あなたの健脚をお貸しください。お待ちしてます。 ☆・・・団塊世代の地域活動に期待・・☆ 我妻武氏が語る地域の絆復活とは・・ 「過去の慣習にとらわれずに堂々と自己主張する団塊の世代の皆さんが、職場を去って地域活動に専念し始めた時、地域住民間での絆が再興されるのでは、、、」と語るのは厚別中央に住む我妻武(47才)さん。その真意を伺った。 高齢者も一種の障害者 少子高齢化、孤立化が急速に進む今、地域での連帯、いわゆる地域の絆が一層求められている、はずだ。 しかし、現況は「残念ながら地域の絆は乏しく、むしろ希薄化が着実に進んでるんですね」と我妻さんは語る。 我妻さんが住んでいるマンションでも入居当初は駐車場でバーべキューなどしたが、最近はほとんど交流もなく、同じ屋根の下に住んでいても“隣は何をする人ぞ”で人間的なふれあいがなくなってきていることを嘆く。 「人間誰しもが老いますよね。老いるという事は、いろんな活動をする上でハンディを覚えるようになるんです。そうしたハンディを抱えたお年寄りの方というのは、ある意味では私たちと同じ障害者でもあるわけです」 ハンディを抱えた高齢者イコール障害者と言い切る我妻さん、障害者といえども健常者と平等に人格があり、健常者と同じように社会参加すべきとも力説する。 「これまでのお年寄りというと、じっと我慢が通説でした。社会の邪魔者にならないようにならないようにと、じっと我慢し続けることが美徳とさえ思われてたんですね」と語る我妻さん、その心には弱者としての悲哀が隠されてもいる。 困難は誰にでも困難 高齢者や障害者の乗り切れない壁、バリアフリーは、実は健常者も普通に感じるバリアフリーでもある。一つの困難さは、特別な人の特別な問題ではなく、普通の人も感じる普通の問題でもある。その問題を解決するには、やはり叫ばなくてはならない。そのきっかけになるのが団塊の世代なのだと説く。 「学園紛争や安保闘争を目の当たりにし、さらに高度経済成長からバブル崩壊を体験してきた団塊の皆さんには過去の慣習とか古い価値観にとらわれずに、自分の考えで堂々と意見を述べます。だから仮に彼らが弱者の立場を理解した時、福祉行政及びその関係者にはどんどんクレームというか、積極的な改善策を提言していくと思うんです。そこに期待してるんです」 職場を去り地域に根を張る団塊世代が、地域の絆を呼び戻すだろうと語るのだ。 ![]() 我妻武さん 1958年十勝の本別町で生まれる。十四才の時、脊髄腫瘍の病に侵され脊髄を損傷し下半身マヒとなり、それ以来車椅子生活を強いられる。1991年千鶴さんと結婚「二人で暮らすことによって生きる勇気、生きる自信が得られました」と。 現在は、障害者の連帯組織「DPI北海道ブロック会議」事務局を務め、障害者の社会参加と平等を訴える活動を行っている。 「人間、ひとりじゃ生きていけないものね、やはり仲間を求めますよ」が口ぐせ。 ★・・・ 『小学校の思い出』 C・・・★ まこと歯科 福島誠人 昭和43年、豊平区の美園小学校に入学しました。おばあちゃんっ子で甘えん坊だった私は、おばあちゃんのいない学校で、ひとりでやっていけるかどうか、とても不安でした。 それでもようやく学校にも慣れた頃、学芸会があって「こぶとりじいさんのじいさん役をやってみない」と担任から言われたけど、“こぶ”をつけるのが恥ずかしいから「いやだ」と断りました。 家に帰り祖母にそのことを話しますと、いつもは優しい祖母から「断るなんて、なんてもったいないことをするのよ」と厳しく叱られました。 案の定、それ以来学芸会で主役の座につくことはありませんでした。 4年生から卒業までF先生のクラスでした。先生は時には優しく、時に厳しい、情熱派タイプの教育者で、そのくせユーモアもたっぷりで授業が楽しく成績も伸びました。 今、歯科医師として恐怖心をもつ患者さんをリラックスさせるためによく冗談を言いますが、これもF先生から受けた情熱とユーモアの指導のたまものと思っています。 その先生が昨年亡くなった。恩返しに冗談を言いながら先生の虫歯を治してあげたかった。 ★・・・ パトロール用防犯チョッキ200着準備 ・・★ 厚別西まちづくり「防犯子ども安全対策部会」 学童の登下校時をはじめ、地域の子ども達の防犯と安全をどうするか、厚別西まちづくり会議の防犯子ども安全対策部会はこのほど、パトロール用防犯チョッキを200枚を準備し、近く町内会や小学校のPTAなどに貸与配布する。 この防犯チョッキは、ナイロン製の丈夫な化繊で出来た網目模様のグリーンのチョッキ。大き目のサイズで出来ており、男女関わらず誰もが気軽に袖を通せる。 腰まわりに反射板の機能もつけられ夜行パトロールにも目立つようになっている。 準備されたこの防犯チョッキには、地区内の厚別北、同西、厚別通り、信濃の4小学校やそのPTA、さらに各町内会、老人クラブなど19団体から150着以上の申し込みが寄せられ、近くその希望枚数のチョッキが貸与配布される。 当面、各小学校の学校区単位で順次、合同パトロールを実施する予定で、春休み前に一巡したいとしている。 さらに緊急の模擬訓練として、パトロール協力員と連携し、某日某所での不審者発見を想定して、FAXによる呼びかけを行い実地訓練も行う計画にある。 また日常的な活動としては各団体の実情に合わせながら、学童の登下校時間帯の街頭パトロールや、買い物の行き帰りに防犯チョッキを着て啓蒙活動を展開することも予定されている。 ★・・・ アフリカの最高峰キリマンジャロに登頂 ・・★ 鈴木博士さん「目標に向って努力できたのが嬉しかった」 古希を迎える厚別北3-4の鈴木博士さんが昨年12月10日、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ・ウフルピークの登頂に成功した。還暦で登山を始めて10年目の快挙だ。彼の手記をもとに、アタックの模様を紹介しよう。 ![]() “これでやっと終わった” 12月3日、山仲間12名と千歳空港から旅立つ。ケニヤからタンザニアに入る。同月6日羊蹄山より高いマランゲート(1970m)から本格的な登山を開始。4千メートル付近で高所に順応するため一日停滞。 9日深夜11時40分、最終小屋キボハット(4703m)から頂上に向け行動開始。薄い雪の上を期待と不安を胸に進む。 10日4時30分、ギルマンズポイント(5682m)に着く。呼吸が早くなってくるが、まだ高山病的な症状ではない。 途中二本のストックを胸にあて立ち休みしようとすると、後ろからチーフガイドのアロン氏が、行け行けと急き立てる。どうも、休むことによって、身体に必要な酸素量がゆきわたらず、高度障害におちいりやすいから、なのかもしれない。 10日、5時55分、ウフルピーク(5895m)に立つ。キリマンジャロの山頂だ。登り標高差1192mを6時間15分費やす。「これで終わった、やっと終わったのだ」が実感だ。 登頂出来たことが嬉しかった。写真を撮ることなど、どうでも良かった。このどうでも良かった、という気持ちが、既に高山病特有の意欲減退という症状のあらわれだったのかもしれない。 “行動時間13時間40分” 山頂での長居は無用だ。6時15分下山開始。下り始めて15分ほどで、足元が不安定になってきた。歩く速度が急に遅くなった。なんでだろう。やはり酸素不足か。アロン氏が私のザックを背負ってくれた。ギルマンズポイントまで下ると、体調も回復し通常の速度に戻った。 8時25分、出発地点キボハットに着き、口にしたジュースがことさら美味しかった。 13時20分、前々日の宿泊地のホロンボハット(3720m)に到着。下り標高差2175mに7時間25分費やす。アタック行動時間13時間40分掛けたことになる。 “低い山でも丁寧に大切に” ちょうど還暦の1996年11月、雪山に挑戦したく小さな山岳会に入った。その時以来自分の人生は変わった。重いザックを背負いマンションの階段を上がり下がりもした。登山の基本も学んだ。そして昨年5月に仲間からキリマンジャロの話が出た。自分も参加してみたかった。妻から「体力のあるうちに行ったら」と励まされた。3月にマレーシアのキナバル山(4095m)に登ったばかりだが、アフリカ最高峰にも挑戦となった。目標を持つと生活がそれに合わせるようになる。心肺機能を高めるためランニングをし、水泳も、筋トレもした。好きなビールを断つ日も増やした。その甲斐あって登頂できたのは嬉しかったが、目標に向って努力できたことがもっと嬉しかったように思う。 山は高きが故に尊いものではない。これからも、たとえ低い山でも、一つひとつ丁寧に大切に登っていきたい。 妻やあのね友の会の仲間達とも、楽しい山登りを続けていきたい。 前号 トップ 次号 |